うたにかえて

もう数年が経つ。同じうたを延々リピートして聴いていたことがある。そればかり聴いて、そればかり聴いたから、それから聴けなくなっていた。そのうたの動画を、読ませていただいているブログさんで偶然見かけたから、少し躊躇ったんだけれど久しぶりに聴いてみた。


つらいときにはうたを杖や毛布にしてきた。「もう要らないから手放そう」じゃなくて「あれ?どっかに忘れてきた」になるまで、気持ちを支え、くるんでもらった。痛みが過ぎ去るのをじっと待つのがしんどいとき、焦りや不安なんかを『メロディに換えて流し』てきた。



聴くと痛みが蘇るんじゃないかと思ってた。でも、そうじゃなかった。

タイムカプセルみたいに閉じ込めたはずの感情は古びてきていて、

あの頃あんなに響いたところを穏やかな気持ちで聴けるようになっていた。



つらいときに聴いていたうたは、優しさや差し伸べられた手に気づけなかったり跳ね除けたりしたことや、みっともなくのた打ち回ってた記憶もつれてくる。痛くてつむった目を開けてしまったから、誰になにを言ったのか、誰になにをしたのか、見ずにすんだことが見えて苦しい。


そのことに耐えているより、言葉でお礼やお詫びを伝えたり、なにかをしてる方が楽だったけど、もう、できるなら、ただ幸せでいようと思う。無理にじゃなくて、殊更にアピールするんじゃなくて、毎日は続いていって、そう悪くない日だって来るんだってこと、証明してみせたい。



いまのそのひとを包むうたから、そんなことを思ってた。