すこしだけ、すこしずつ。

平成最後の(と書いておきたい気がします)年末のようです。

さて、どこから書き始めましょうか。

 

“なにかを選ぶということは 別のなにかを選ばないということだ”

こうしてブログなんてものを書き始めたときにそんな恰好のよい紋切型の箴言みたいなものの風圧に随分と揺れていたなぁと思います。わたしという皮膚も骨組みも筋肉もまだやわらかく、地面はでこぼこはあれどまだふわふわとしていましたから。

まあまあ。そんな仰々しいものでなくたっていいし、イチゼロでもないでしょ。意外と両方いけるかもだし、どっちも駄目かも。というかその言葉で背中押したらはまるタイプの人もいるかもだし、言葉の響きの強さは嫌いじゃない。けどまぁやれるようにやったらええねん。という程度には自由になりました。

というわけで、選ばないというよりも、時間とかするからにはこうしたいとかのエゴとか体力的なものやらを10秒くらい考えたあげくに書くことを切り捨てるという選択を何度も繰り返して、なんとか年末にはこうして自分のために少し時間をとることができました。どうもお久しぶりです。

 

たくさんの人とお話しながら暮らしていまして、正直なところ自分と話す時間はあまりありませんでした。それでもときどき、これはもしかしたらこうなのかな?と自分の中にあるものを少し点検するみたいな瞬間はあって、そのいくつかのことを今年最後に書いておこうかと思います。

 

人生に起こることに無駄なものはない、という言葉はとてもきれいなのですが、それだとひとが壊れてしまうくらいのことを含んだり、肯定するにはあやういものを未消化のまま続けてしまう場合にもうっかり使われているので、ある程度限定的に用いようと思うのですが、“これまでに出逢って、自分が理解と納得ができなかったものを別の角度から眺めて肯定できる一面を見つけられた”ということがありました。

なぜ、そうであったのか、そうならざるを得なかったのか。そのことによってもたらされていた長所はどこだったのか。それに気がついたときにまた少し視界が開けた気がして、相変わらず生きるということというか、人と、物事と出会うということは代え難い喜びだなぁと思いました。

ずっとそう思って生きてきたので、おそらく、このままずっとこうした考え方は形を変えて持ち続けるんでしょうけれども、やはり怒りも苦痛も拒絶もあるので迷いも諦めもあります。ただ、それはともにある間ではなく、離れてからもたらされるものだったりもするので、少し距離を置く・離れる、というのは決して逃げでもなんでもない。どうしたって連れていくものだから、という実感をあらたにしました。

 

それから。発見、というのにはちょっとどうかと思うのですが、どうやら妬まれたりするんですね。わたしのどこにそんなものがあるのでしょうか(いやない)と心底思っていたのですが、類似の出来事が続きまして、どうやらこれがそうなのだろうと認定することにしました。こういう自己評価の低さはどうも性質が悪そうです。かまぼことお魚って!と言い出すのと同種に思えてなりません。いえ、どちらかというとお魚の種類とか製造過程とか説明し出すタイプな自覚はあるのですが。いずれにせよ痛いです。

それで、あまりにちょっとどうか、という状態でしたので反撃にでることにしました。理屈のないものには、理屈じゃないところで負けないという姿勢をみせないといけない場合があるのかもしれない。という仮説を立てて訝しんでいるのですが、自分を守る、ということを誰かに委ねていたのかもしれないというのが学ぶべきところだったのかもしれません。

 

そうそう、あとは、時間のことについても考えていました。上のこともそうなのですが、つらかったり・苦しかったり、もう駄目だと思ったり。いままでそういうことはたくさんあって、それは私が私であるがゆえに痛みをより強く感じてしまう、そんな自分のままならなさを含めて、逃げても・距離を置いても・休んでもいいから、時と共に落ち着くべきところに行くのだという経験を積み重ねていくこと。それがまた少し経験できた気がしています。

「なんとかなる」なんて、なんとかなったことがない人間にはなんの意味もないし希望にも励ましにもならない。それでも、この人がと希う誰かが言ってくれて、この人がこれからも一緒にいてくれるのならばそうかもしれない。そうだと信じたい。そうしていつか、その手を離れて、自分の力でしたことのように思えて、できたよって言いたいがために振り返った時になんて言葉を聞いたのか。

 

ね、だいじょうぶだったでしょう?なんとかなるでしょう?

 

まっすぐではないけれど、たしかにつながっていて、“らしい”どこかへと向かっていく。その少しずつの歩みの中にある少しのことを、いつ、誰と、どこで、どんなふうに過ごしたのか。それをまた書いておけたらいいなと思います。

あなただからだいじょうぶだったんだよ、と心から言える少しの違いがわかるように。