answer

もうずっと、そのひとの書く言葉がすきでした。


その気持ちを表現する言葉を書き出してみるとどれもこれも違うような気がして、もうそれがそのままこのすきの温度なのだからと、無理に名前をつけたり形容しようとせずにいました。

うまく言葉にできないのは、そんなことをそのひとは望んでいないのだろうという確信めいたものもあったからでした。手を伸ばしたりしようとなんてせず、すこし遠くにいたほうがきっとそのひとにはいいんだと。

だけど、ときどき誰に宛てたのでもない風で、自分に言ってるんだよなんてフリをして、届かない手紙のような文章を書いてしまうことがあって、でも受け取ってはもらえていないようだったり、嫌だったりするみたいだと感じていました。やっぱりそうなのかな、かかわろうとしないほうがいいんだろうなって。


多くのことが通り過ぎていくなかで言葉の色が変わりゆくのを見ていました。厚い雲のかかった冬の空のような色をした言葉たち。それはかつての言葉たちを軽やかな色あいと感じていた自分にとってそうだというだけのことなのに、勝手に胸を痛めていました。自分だってそうだったのに、誰かには自分勝手にねがってしまうのです。

 

何年か前のある日、白い息を吐きながら見上げた夜空から雪が降りてくるみたいな気持ちになる言葉があって、それは久しぶりに読むことができた胸がどきどきするような文章でした。なかでも最後の方にあった独特の言い回しがすきで、それからなにかの拍子に思い出していました。そうであろう、って。


さっき、なにもないけどなにか書いてみようかなってここを開いて、自分でも書いたことをあまり覚えていなかったものがあったので読み返してみたら、それはわたしが書いた言葉でした。 手紙のように宛てて、届きもしなかったと思っていた言葉でした。

 

 

もう、できるなら、ただ幸せでいようと思う。無理にじゃなくて、殊更にアピールするんじゃなくて、毎日は続いていって、そう悪くない日だって来るんだってこと、証明してみせたい。

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